おはようございます。
阿智村ホストとお別れし、元職場がある名古屋にやってきました。
職場ビルを一望できるカプセルホテルに滞在していて、なんともいえない心持です。
昨日はホスト宅で送別会を開いてもらいました。
メンバーはホスト家族と社員さん一同です。
総勢11人で盛大にBBQを楽しみ、同い年のSくんとは0時くらいまでしけこんでいました。
社員さんはともかく、ホスト夫婦はそれほど僕に興味があるように見えなかったのですが、実はとても気に入ってくれていたようで、お酒が入るとたくさんお話してくれました。
なんだ、最初からもうちょっと喋っていればよかった、、、と今さら反省しています。
最後はホスト夫婦とがっちり握手を交わし、またいつでも遊びにきてね、と言ってもらって感動のお別れ。
過ぎ去ってみれば、ここでもしっかりと勉強することができたように思います。
また後でしっかりと時間をとって振り返りますが、重要な学びを書き残しておきます。
それは、農業と肉体労働の重要性です。
私たちが生きている現代では、農業をはじめとする一次産業に携わる人は著しく減少しています。
それは第一にお金を稼げないからでしょう。
皆と同じようにお金を稼げないと、皆と同じようにカフェに行ったり、服を買ったり、旅行したりができないのです。
また、キツくて汚いのも理由にあると思われます。
サービス業が仕事の主流になっている昨今、わざわざ暑い中外に出て、虫と闘いながら汗にまみれるなんて、コスパが悪くて仕方がない。
そうした理由から、一次産業は敬遠されているのでしょう。
しかし、人間の生活に最低限必要なものは衣食住であり、特に食は数日欠ければ生存することもできません。
高度な分業化が進んだことにより、そうしたことを意識しなくとも、一部の人間に食を任せて生きていけるようになっているのです。
今回の専業農家ホストとのお仕事を通じて、そのことを痛感しました。
僕らが当たり前に食べている米や野菜や肉は、いずれも血の滲むような努力で得られたものだったのです。
そんなことは昔から知っていましたが、言葉の重みがまるで違うように感じます。
そして、肉体労働の話。
農業の仕事は本当に多岐に渡ります。
全ての作業を機械化することは、今後しばらくは不可能でしょう。
そうなれば、必然的に使える動力は僕らの肉体です。
文字面から想像すると、汚れた服で重いものを担ぎ、頭を使わず体を動かすように感じます。
しかし、プロと素人では体の使い方や、作業の効率は天と地の差があることを知りました。
肉体労働といえど、仕事道具が肉体であるだけで、頭の使い方も非常に重要なのです。
そうしたことを全く知らず、のんきに敬遠していた自分を恥ずかしく思います。
久々に名古屋に降り立つと、清潔な男女がわんさかいます。
僕らの生存に必要な農業が都会ではどれだけ切り離されているか、まざまざと実感しました。
汚れることなく幸せに生きられるのは素晴らしいですが、今の平穏の裏には途方もない努力があることを、僕らの世代は特に意識しなければならないと思います。
2,3日は名古屋で旧友と会ったり、行きつけのカフェに寄ったりして、少し休憩します。
それでは、また
元職場ビルを眺めながら
2024.6.15